公共、貢献
2022.09.12
今日は公共や貢献、そして幸福について考えてみたいと思います。
考えるにさしあたり、人間は幸福を目標に生きているということを前提にさせて頂きます。
そうでない人に出会ったことはありませんが、該当しない方にはこの内容はあまり共感して頂けないかもしれません。
さて、出発点を定めたとことで考察を深めてみたいと思います。
まず、自分が幸福を目指すにさしあたって、自分のやりたいことを追求してみるとします。
趣味に没頭する、大切な人と過ごす、食べたいものを食べる。
こうすると24時間を自分のために使うことができます。
十分に時間が足りる人もいれば、足りない人もいます。
足りる人は残りの時間をどう使うでしょうか。
私の場合、そのような休息でもない、ゆとりでもない空白の時間ができると、ボーっと過ごしているか、
不要な不安や不満に思いを巡らせてしまいます。
好きなことをやっている時間を通り過ぎると、不幸にならないように脳が準備を始めるようです。
時間が足りないと感じる人はどうでしょうか。
なんとか時間を24時間よりも増やしたいと考えたことはないでしょうか。
これを実現できるのが公共性のある行動だと考えます。
例えば、多くの人が受けている公共サービス。
それらは目に見えないところでその準備をしている人がいます。
役所での申請関係、郵便物の配送、生活インフラなどなど。
我々が行っている通信環境の構築もそうです。お客様がご自身でインターネットを使用する準備を始めたら途方もない時間を要するでしょう。
不可能とさえ言うことができます。
利用したいと思う人がいるサービスを万人向けに一括提供できるような基礎工事さえ済んでしまえばご自身でWi-Fiを設定したりできる人もいるでしょう。
ここまででお気づきの方も多いかと思いますが、実は我々は個々人では得られない時間の量をすでに集団の支え合いの中で手に入れているのです。
単独で生きる動物であれば、食べ物を探し、外敵を避け、眠り、繁殖しているうちに一生を終えます。
ゴルフなどの趣味に興じる時間など存在せず、スマートフォンを眺めることなど夢のまた夢でしょう。
集団で生活する動物であっても見張り役、狩り役、子育て役などに分かれてはいるものの、
余暇や文明を獲得するほどの時間を作り出すことはできていません。
他者を思いやり、未来を想像し、自分以外の大勢が喜ぶことを察することのできる人間の知恵は、現在時間や場所の制限さえなくしつつあります。
出発点に戻ると、人間が幸福を求め、幸福であろうとすればするほど、自分以外に時間を使っていく方が効率的なのです。できればそれは多くの人のためになるようなことで。そうすることで制限を超えた時間を獲得することができます。自分に使う1時間よりも、数人から30分ずつの成果を頂くほうが遥かに効率的なのです。
電話の登場で離れた人の声が聞けるようになり、メールの登場で用事はタイムレスに、気軽に送ることができるようになりました。数十年前までは一生をかけても知りえなかった知識を任意に取り出すこともでき、世界中で起きていることをリアルタイムに知ることができます。
インターネットって便利だね、という話ではなく、そういった便利さを多くの人に提供する努力をそれぞれが提供するべきではないかと思うわけです。
今日も自分で育てたわけではない食材を頂き、自分でデザインしたわけでもない服を身にまとい、自分が立てたわけでもない家で、自分が作ったわけでもないものに囲まれて、大事な人のことを想い、眠りにつく。
公共性の高いサービスであればあるほど、多くの人に貢献できるでしょう。
もちろん、仕事においては、個人様のために尽くすということもあるでしょう。しかし、何人もの人が通る道のゴミを拾うことや家族が快適に過ごせるように清掃をしておくこともできます。
自分個人の時間を堪能し、仕事に邁進したあと、ほんの10分でも良いと思うのです。
個人ではなく公共のために、互いに貢献し合い、さらなる幸せを目指したいものです。
弊社では世界中の人に貢献しようとされている企業様、個人様の通信インフラを支えて
るという自負があります。
今後も直接的、間接的に、社会に貢献していくことで従業員一同の幸せを実現できると確信しています。